芋虫

初夏の陽気に満ちたある日、一匹の芋虫が桜の葉をぽりぽりと齧っておりました。

芋虫にだって、この素晴らしい陽気に感ずるだけの能力は備わっております。 緑色の柔らかい身体に、その表面積が許す限りの陽光を目一杯に浴びながら、 そうして彼は、神さまの与え給える自然の歓びに身を包んでおりました。

しかしそうした素敵な時間が長く続かないということは、 読者諸賢も経験的によく知るところでありましょう。 この芋虫についても、やはりその例外ではございませんでした。

六つ程の男の子が桜の木の側にやって参りました。 後ろのほうからは彼のお母さんが、赤ん坊を抱いてゆっくりと彼を追って参ります。

男の子は、 「あ!芋虫だよ!」 と嬉しそうに芋虫の乗った葉っぱを指差し、お母さんに必死に訴えました。お母さんは、 「ええそうね、芋虫ね」 と、微笑みながら返します。

我々にとってはなんとも微笑ましい光景に、しかし芋虫は戦慄しました。 彼がこの世に生を受けたのはつい三日前のことで、彼はこのとき人間というものに初めて遭遇したのです。 そうして芋虫としての本能が告げる恐怖に、彼は身を固めて屈服するほかありませんでした。

この年頃の男の子は、急に何をし始めるかわかったものではありません。 立ち止まって考えるという能力が未発達で、刹那の衝動にあまりに従順なのです。 この男の子よりは芋虫のほうが、まだいくらか理性的であったと言ってもよいくらいです。

男の子は何を思ったのでしょう。芋虫の乗った葉っぱをちぎり取って、地面にそっと置きました。 そうしてそれを思い切り踏みつけたではありませんか。

芋虫の身体の下半分は無惨に潰れました。 男の子が再び足を上げ、芋虫の頭蓋を踏み抜こうとしたそのとき、 お母さんが男の子の肩を引っ張り、彼の頬を張りました。

かくして芋虫は即死を免れ、しかしそう遠くはない死を約束されたのです。 さて男の子は罪を犯しました。しかし神さまが定め給うた相応の罰を受け、彼の罪は償われたのです。

かの親子は去りました。全ての罪は清算され、残された中立的な死の運命に、 芋虫はただ身を任せるしかありませんでした。

緑色の柔らかい身体に、半分になってしまったその表面積が許す限りの陽光を、目一杯に浴びながら。